昭和の女性は“ちょっとバカ”がいい?母の体験から見る女性の人権意識

こんにちは。ドイツ人彼氏と遠距離恋愛中のアラフォー、香月ひなこです。

前回の記事では、母に取材をし、昭和を生きた祖母が家父長制の家でどんな暮らしをしていたかをご紹介しました。

完成した記事を母に見せたところ…なんとクレームが入ってしまいました!😂

ちょっと、私が話したあの話もこの話も入ってないじゃない!これじゃ女性の人権がなかったことがまだまだ伝わらないわよ!!

※注:ハハ子=ひなこの母

おっ、おう…汗

という訳で、ハハ子をなだめるべく(?)、今回は昭和に嫁入りした私の母自身が体験した、当時の女性の人権意識の実態をご紹介します。

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昭和世代、母のジェンダーに関する価値観

今回母に「伝えてほしい!」と言われたことは、母が祖母から
「女が外に出て働いたって、どうせ大した仕事もしないし、大した稼ぎにもならない。
外に出て働く人は遊びたくて働いているんだ。
女は家にいればやらなければいけないことが山ほどあるんだ」と言われた言葉でした。

都会から嫁入りし、田舎の風習になじめず、普段祖母や父と衝突していた母でさえ
「それはそうだなー」と思ったそうです。

当時の女性の仕事と言えば、どの会社でもお茶くみとコピー取り。女性がやりがいのある仕事に就きたければ、看護師か教師を目指すしかなかったそうです。そんな社会背景から、母は祖母の言葉に納得してしまったのです。

女はちょっとバカじゃないと結婚できないという呪縛

母は簿記検定1級を持っているのですが、簿記検定2級を取得した後、本当は税理士資格を取ろうか考えたそうです。

でも女が税理士資格なんて取ったら「ちょっとバカ」じゃなくなっちゃって結婚できなくなっちゃうかも!

当時、「女は若くて素直でちょっとバカ」でないと結婚できないと思っていたハハ子。税理士なんて偉そうな資格を取ったら女のくせに生意気だ、と思われて婚期を逃すかも。

1985年に「男女雇用機会均等法」が施行される以前は、女性は結婚や出産で仕事を辞めるのが当たり前で、会社でも昇進や重要な仕事を任されることはほとんどありませんでした。

また「女性の年齢はクリスマスケーキと同じ(25歳を過ぎたら売れ残り)」という比喩が世間で当たり前のように使われており、結婚こそが女性の一人前とされる風潮が強く根付いていたのです。

そんな風潮の中生きてきたハハ子ですから、結婚するために「ちょっとバカ」になろうと考えても無理はありません。

そしてハハ子は税理士資格を諦めましたが、簿記検定1級を取得し、大学卒業後には会計事務所で働き始めました。

会計事務所での女の仕事

ハハ子が大学を卒業したのは、1980年代の前半ごろ。簿記検定1級を取得し会計事務所に勤め始めたハハ子ですが、割り当てられる仕事は、お茶くみやコピー取り、男子トイレの掃除までしていたそう。もちろん担当の顧客を持たせてもらうことはできませんでした。

その後子育てを経て、再度1998年ごろに別の会計事務所に就職しますが、その頃もまだ女性は顧客を持たせて貰えなかったそうです。お客さんに「女が担当だと大丈夫?って言われるから!」と上司に言われた、とのことでした。

母自身の中にもある男尊女卑の感情

そんな時代を生きた母ですから、「女が仕事をできないのが当たり前」という意識がどこかにあったようです。

家で税理士さんを雇う機会があったのですが、その時女性の先生が来ました。その時ハハ子はこう思ったそうです。

え~っ女の税理士さん!?大丈夫かしら…

…えーっ、私は都会から来たから田舎の男尊女卑の風習に馴染めなかったんだ!とか言ってなかったっけ!?🤣

そんなことを言っていた母でさえ、女性の税理士さんに不安を覚えたそうなのでこの年代の女性に対する考え方の根深さが感じられます。

また最近私の妹が実家の近くで子育てをしているのですが、その様子を見てハハ子はこう思ったそうです。

え~っ、そんなことまで旦那さんにやらせるの!?女がやらなくていいのかしら…

あんなに父や祖母に文句言ってたのに~!!🤣(祖母の話は→こちら

そう一瞬思ってから、ハッと今は令和だったと思い出すそうです。

昭和後期に生まれ平成を過ごし、令和に働く女ひなこの価値観

そんな家庭で育った私ですので、自分も当然大人になったら結婚してお母さんになると思って育ちました!

私は現在都内の会社で営業職をしていますが、子供の頃はまさか自分がこんなに一生懸命会社で働くとは想像もしていませんでした。

母のように結婚前には少し働き、その後結婚してお母さんになり、外での仕事はお遊び程度(失礼)とぼんやり思っていたので、正直自分のキャリアについて深く考えていませんでした。

私は仕事で新卒の面接をすることがあるのですが、今の若い学生さんって、女の子も(むしろ女の子の方が)しっかり将来のキャリアのことも考えていて凄いな~!と思っていました。

そして何も考えていなかった自分を恥じていたのですが…この記事を書いていて、もしかしてそれって自分のせいじゃなくて時代のせいなのでは!?と思ってしまいました!(爆)

ひなこ、ダメよ、他責が過ぎるわ!同年代でもちゃんとキャリアのことをしっかり考えている人、たくさんいるわよ!

私、ひなこが社会人になったのは、2007年のことです。ちょうどそのころテレビで流れていたCMをよく覚えています。

合コンのシーンで、若い女性たちが並んで「事務でーす」と自己紹介する。
でも一人だけが「医療事務でーす」と言うと、男性たちが「おっ」と反応する——
この記事を書くにあたり調べてみると、あれは2008年に公開された、ニチイのCMでした。

なんでこのCMを良く覚えていたのか分からないけど、その2008年当時、そのCMを見ても「資格があると強いんだな」くらいにしか思わなかった気がします。

でももし令和の今、あのCMが流れたら…正直違和感だらけだと思いませんか?
「なんで女性は全員事務なの?」と同時に、
「女は男に選ばれてこそ価値がある」という空気がにじんでいて、令和の今なら炎上してしまいそうな気がします。

そのころ、まだ「女性の仕事と言えば事務職、総合職でバリバリ働く女性は少数派」「女は男に選ばれてこそ価値がある」と言う概念が象徴的なCMだったのではないでしょうか。

昭和の「家庭に入るのが当たり前」から、平成の「事務職が当たり前」へ。
そして令和の今はようやく「当たり前」が崩れて、女性も多様な働き方が選べるようになりましたよね。
男に選ばれなくても女性が自立して一人で生きていける時代です。

この、ほんの十数年の差でも、社会の空気って大きく変わるんだな、と感じました。

まとめ

さて、この記事でハハ子は満足してくれるでしょうか。(ちょっといじりすぎたから怒られるかも)

昭和から平成、そして令和へ…
女性の立場は少しずづ変わってきましたが、まだ道半ばです。

私も未来の子供たちへもしっかりバトンが渡せるように、これからも発信していきたいなと思います。


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専業主婦はずるいって本当? 昭和を生きた祖母の人生から見えた“家父長制”のリアル

こんにちは。遠距離国際恋愛中のアラフォー、香月ひなこです。

X(旧Twitter)を見ていると、時々「専業主婦はずるい!」「昭和のころに戻りたい!」とポストされている方のつぶやきを見かけることがあります。また最近では「男女共同参画は間違いだった」と参政党の神谷宗幣氏が発言していました。

ですが、昭和の専業主婦は本当に「恵まれた存在」だったのでしょうか?

私の祖母は、まさに昭和の「長男の嫁」として家に入った女性でした。彼女の人生を振り返ると、「ずるい」どころか、ほとんど奴隷のように働かされていた現実が見えてきます。

今回は母から祖母の話を聞きながら、昭和を生きた女性たちの「専業主婦のリアル」とその背景にある「家父長制」という仕組みについて考えてみたいと思います。

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祖母の人生:選択肢のない「専業主婦」の生き方

祖母が嫁いだのは20歳の頃。戦後まだ間もない頃でした。嫁いだ先は、所謂田舎の農家の本家の長男。大きな土地の大きな家に、夫(私の祖父)、その両親、夫の弟3人、妹3人も一緒に住んでいました。

そのころ当たり前のように「嫁ぐ」=家に入るということでしたので、その大家族の中、長男の嫁としてひとり家に入ったのです。

祖母の1日:休む間もない労働

朝は男性たちが起きる前に馬の世話をし、朝食の準備。

男性たちが起床後は田んぼや畑の手伝いをします。畑仕事が終わって男性が家に帰った後、後片付けは女の仕事です。

農作業の片づけを終え、やっと家に帰ると飛んでくるのは先に仕事を終えて帰った祖父からの「飯は!?」の声。休む間もなく昼食の準備に取り掛かります。

午後も畑の手伝いや洗濯、庭の草むしり——そして大家族の夕飯の支度です。

当時、台所は土間だったので靴を履いたまま台所仕事をします。男性たちは暖かい部屋の中で夕飯ができるのを待っているだけ。
夕飯を食卓に並べると次々に男性たちは食べ始めます。ようやく支度を終え、自分も夕食を…と食べ始めると、「お代わり!」の声。
また靴を履いて土間へ行き、味噌汁を温め始めます。ようやく自分が食べるころには男性たちは既に食べ終わっていました。

夕食後、こたつがありましたが、夫の両親やほかの家族のスペースはあっても嫁のスペースはありません。ひとり部屋の隅で繕い物をしていたそうです。

ここまでくると、殆ど奴隷じゃない?と口に出したくなるほどの暮らしぶりです。

馬が羨ましかった

当時は農作業用に馬を飼っていました。祖母は、その馬が羨ましかったそうです。朝は何も言わなくても餌がもらえて、午前中に畑仕事をすればあとは遊んでいられます。

祖母は財布さえ持たせてもらえていませんでした。自由のない祖母にとって、「馬のほうが楽そうだ」と思うのも当然だったでしょう。

自由な女性を非難せずにいられなかった

そんな暮らしを送っていたせいか、祖母は自由にしている女性を強く非難していました。

  • 近所に唯一あった「しまむら」。そんなところ家の仕事もせずに女が買い物に出かけるなんて信じられない。
  • あの家にお邪魔をしたら男性がお茶を出してきた。女は一体何をやっているんだ。

女性に人権がある世界なんて知らない。だから、自由にしている女性が許せない。女性は家に縛られ、家族に尽くすもの——そう信じることでしか、自分の人生を正当化できなかったのかもしれません。

家父長制家庭で生まれ育った父とそこに嫁入りした母

そんな家庭で育った父と結婚したのが私の母。母は都会育ちだったため、嫁入りした時のカルチャーショックの連続でした。

  • お嫁さんは留守番さんなんだから外に働きに出るなんてとんでもない。
  • 友達とランチなんてもってのほか。
  • だからと言って友達を家に呼ぶのもダメ。
  • PTA?そんなの女の遊びでしょ!

と、とにかく外出せず、家から出ないことを強いられたのです。

父は、「それが女と幸せ」と信じて疑っていませんでした。祖母がいつでも自分を犠牲にし、男性に尽くす姿を「理想の女性像」と思い込んでいたのです。

私はそんな両親のはざまで育ち、母が祖母や父と衝突している姿をよく見ていました。外出や遊び好きの母にとって、この価値観は大きなストレスだったはずです。

認知症になって初めて見えた祖母の本心

祖母が75歳を過ぎ、認知症の兆候が見え始めた頃——驚く変化がおとずれました。

  • あんなに非難していた、“しまむら”に行きたがる
  • 孫がきれいな洋服を着ていくと「素敵な洋服ね」と羨ましそうに言う。
  • 祖父からの「飯は!?」に対して怒りをぶつける

皮肉にも認知症になったことによって、今まで祖母がずっと閉じ込めていた「自我」が外に出てきたのです。

それに驚いたのが祖父と父です。「祖母は尽くすことが幸せだ」と本気で信じていた彼らにとって、それが幻想に過ぎなかったことが初めて分かった瞬間でした。

男って、なんて馬鹿な生き物なんでしょう。

それからです。父の母へ対する態度が軟化したのは。娘の私から見ても、明らかに父の態度が変わりました。祖母の姿を見て思うところがあったのだと思います。

そもそも家父長制ってなに?

祖母や母の経験は、決して一家庭の問題ではありません。背景には「家父長制」という社会の仕組みがありました。

家父長制とは、家の中で父親(家長)が絶対的な力を持ち、妻や子どもは従うしかない仕組みのこと。

戦前の「家制度」の名残で、戦後の昭和期もまだその価値観は強く残っていました。

  • 家長である男性が絶対的な権力を持つ
  • 妻や子どもは従属するしかない
  • 結婚=家に入ること
  • 嫁は財布すら持たせてもらえない

祖母が「馬が羨ましかった」と感じたり、母が「自由に外出できなかった」と語ったのも、決して個人の家庭の問題ではなく、社会の仕組みそのものが女性の生き方を縛っていたからなのです。

「昭和に戻りたい」と言う人へ

「昭和の時代に戻りたい」と言う人も、神谷氏のように男女共同参画を否定する人も、昭和の現実を知らないから言えるのではないでしょうか。

もちろん祖母ほど極端でない家もあったと思います。ただ、農村や旧家に嫁いだ女性たちにとっては「財布を持たせてもらえない」「一日中働きづめ」といった祖母のような暮らしが現実に存在していたのです。

このような思いをしてきた女性たちが必死で勝ち取った女性の生き方の選択肢。私はそれを大切に守りながら、未来の女性たちがより生きやすい世の中になるよう祈っています。

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婚活女性は男性を育てろ論について考える。過去と他人は変えられない!

こんにちは。ドイツ人彼氏と国際遠距離恋愛中のアラフォー。香月ひなこです。

X(旧Twitter)を眺めていると、よく婚活コンサルタントの方が、言っていることがありますよね。

「男は育てろ!」

これ、どう思います?本当に、育てられると思いますか?

ひなこは全く逆の考え方です。前回の記事では、彼氏のドイくんと喧嘩をしたエピソードを紹介しましたが、その時も私の考え方で、その喧嘩を乗り切りました。

そこで今回は、「男は育てられる?」―—ひなこの人間関係の考え方について紹介します。

過去と他人は変えられない。ひなこの座右の銘をご紹介

私にはずっと心に残っている好きな格言があります。
カナダの精神科医で交流分析の創始者、エリックバーンの言葉です。

この格言を知ったのは、私が国家資格キャリアコンサルタントの勉強をしていた時でした。
シンプルだけど「あ、それはそうだよな!」とストンと腑に落ち、それ以来ずっと座右の銘にしています。

この格言は、人間関係で困ったときにいつも私の助けになっています。

変えられるのは未来と自分だけ!ひなこ流格言の活用法

前回の記事では、彼氏のドイくんと喧嘩をしたエピソードをご紹介しました。その時のひなこの考え方はこうです。

言いたいことは言ってすっきり!多分また喧嘩するだろうけど、またその時に言いたいこと言えればいいから、まあいいか!

「ドイくんの考えを変えたい!」とは思いません。だって他人は変えられませんから。

もしもね、私がドイくんを変えたい!と思うとするでしょ?それで、また次回変わらなかったら。その時またストレスですよね?

ドイくんはドイくんの考え方。ひなこはひなこの考え方。他人だから違って当たり前です。
またムカついたときにはその都度伝えればいい(幸いドイくんはそれを受け入れてくれる)し、もしその違いに限界を感じたら、その時はその人から離れます。

結局、相手を変えることはできない。変えられるのは自分の行動だけなんです。

心理学の観点からも考える

心理学や行動科学の研究でも、人は「自分で変わろう」と決めたときにしか長期的な変化は起こりにくいとされています(Deci & Ryan, 1985/Prochaska & DiClemente, 1983)。
むしろ、無理に変えようとすると心理的リアクタンス(反発心)が働き、逆効果になることもあるんです(Brehm, 1966)。

心理学や行動学でも相手を変えるよりも自分の行動や受け止め方を変えるほうが早くて楽、ということは証明されているんですね。

恋愛だけじゃない!いつも心ににエリックバーン先生を

私とドイくんの関係だけでなく、多くの人間関係はこの「自分軸」の思考でぐっと楽になります。

例えば上司との相性が悪い場合。
上司は変わりません。ではこの環境で、自分がどうしたいのか?を考えます。

  • 異動願いを出す
  • 転職する
  • 頑張って上司を追い抜く

もしその選択肢を取らずに今もその上司の下で働き続けているのなら、それは自分で選んだ道。「自分で選んだ道なのだから、仕方がないか」と割り切れれば、無駄にイライラせずに済みますよね。

同じように友人、家族にも応用できます。相手を軸にせず、自分を軸にする——それだけで少し心が軽くなりますよ。

まとめ:女性はお母さんなんかじゃない!

「男は育てろ!」――よく耳にする言葉ですが、必ずしも正解ではないと思います。

他人を変えるよりも、自分の未来を変える方が結果的にストレスが少なく済みます。

と叫んだ方がいましたが、私たちは男性のお母さんになる必要はありません。
無理に育てようとして、ストレスを感じなくていいと思います。相手を育てるより、自分の未来を育ててあげましょう。

「過去と自分は変えられない、でも未来と自分は変えられる!」ぜひこの格言をお守りに、人間関係を軽やかにしてみてくださいね。


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国際恋愛の落とし穴!文化の違いで大喧嘩…ドイツ人彼氏は空気を読まない?

こんにちは。遠距離国際恋愛中の香月ひなこです。

前回の記事では、彼氏のドイくんと、愛犬イヌ子と一緒に北海道旅行をした記事を紹介しました!この旅行とっても楽しい思い出が作れたのですが、実は最終日、帰宅する日にひなことドイくんが大喧嘩をしたのです!

そこで今回は、国際カップルあるある!?文化の違いで喧嘩になった原因と、ひなこ流の仲直りの方法についてご紹介します。

国際恋愛で初めての大喧嘩

北海道旅行の最終日、雲行きが怪しくなる

実は喧嘩の予兆は、北海道からの帰りのフェリーに乗船時から始まっていました…(さんふらわあ ふらの乗船レポはこちら

はぁ~船室が狭いし…早く着かないかな…

フェリーの中でつまらなそうにするドイくん。せっかくの旅行なんだからもっと楽しそうにしてくれればいいのに!そう思いながらドイくんの発言を流していました。
(一応補足しておくと北海道滞在中はとっても楽しそうにしていました!ドイくんにはフェリー旅は向かなかったみたいです。ひなこ的にはフェリー旅とても楽しかったけど)

以前からこういう文句が多いな~と思ってたんです。せっかく楽しい時間を過ごしているのに、どうしてそんなに文句を言うの?そう思っていました。

駅の一言で私の堪忍袋の緒が切れた

そしてついに、我慢の限界が訪れていまうのです。それはフェリーを降りて、駅で切符を買うために窓口に並んでいた時のこと。

ねぇ!見てよ!あそこの窓口の人、あんなに時間がかかってる!こっちの窓口の人よりも、絶対遅いから!!!

それを聞いて、ひなこのイライラが爆発してしまいました!

ねえ!!なんでそんなに文句ばっかり言うの!??あなたがそんなに文句言ったって、状況は何も変わらないから!!!せっかく楽しかった気分が台無しだよ!!!

ドイツ語で喧嘩するものだから、列に並んでいる人たちから注目の的です!

そして私たちはせっかくの楽しい旅行の最後、重苦しい雰囲気のまま帰路につくことになりました。

仲直りの方法 | 文句じゃなくてスモールトーク?

帰宅後、ひなこは思っていたことをドイくんに伝えました。せっかく楽しい気持ちだったのに文句を言われて嫌だったこと。窓口の人はただ仕事を一生懸命していただけなのに、悪く言っているようで嫌だったこと。

ドイツではこれはスモールトークだよ…何が気に障るのかよくわからないけど、ひなこの機嫌を損ねたくないから気を付けるよ

えーっ、スモールトークなの…!?文句言っているようにしか聞こえなかったけど…とは思いましたが、言いたいことを言ってすっきりしたのと、これ以上重苦しい空気を継続したいわけではなかったので仲直りすることにしました。

喧嘩の原因は文化の違いだった!

日本人の「空気を読む」文化

日本では相手の気持ちや場の雰囲気を察して、発言を控えることが美徳とされています。
「空気を乱さないことが大事」なので、ネガティブな気持ちを口に出す人がいると嫌な気持ちになることも。

ドイツ人の「はっきり言う」文化

一方ドイツでは、思ったことを口にすることが正直でよいこととされています。相手の感情を読むより、自分の意見を伝える教育を受けて育つそうです。

違いを知ればイライラも減る?

日本人からすると「文句が多い」と感じる発言も、ドイツ人にとってはただの会話。そう考えると仕方ないか~!と思えてしまうの、不思議ですよね。

まとめ:文化の違いを知って歩み寄ろう!

今回のことで学んだことは、相手の文化を知る大切さです。地球の裏側で生まれ育ったふたりなのですから、考え方の違いがあって当たり前です。

もしこれが日本人だったら、どうしてわかってくれないの?と更にイライラしてしまったかもしれませんが、「まあ文化が違うんだから仕方ないか」と思えるのも外国人彼氏のいい所かもしれません。

とはいえ相手の文化を全て受け入れる必要はないと思っています。恐らくひなことドイくん、これからも同じような喧嘩をしてしまう気がします。

でもその度に何が嫌だったのか、どうしてそう思うのか、きちんと相手に伝えることでお互いが少しずつりかいできるはず。

国際恋愛は、喧嘩も相手の文化を知るという学びになる機会になるのかもしれません。


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